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アメリカ歴代大統領研究ポータル

アンドリュー・ジャクソン大統領
第6代アメリカ大統領
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ジョン・クインジー・アダムズ

ジョン・クインジー・アダムズ
説得力 39.1 31位
危機対応力 47.5 24位
経済管理力 56.2 16位
カリスマ 58.9 16位
外交力 68.8 12位
行政手腕 60.6 15位
議会連携力 42.5 31位
決断力 56.3 17位
公正性 58.5 11位
ヴィジョン 53.3 22位
C-SPANのランキングに拠って作成
ジョン・クインジー・アダムズ大統領の能力値
完全な詳細は『ジェームズ・モンロー&ジョン・クインジー・アダムズ伝記事典』に収録。

ジョン・クインジー・アダムズ大統領の概要

John Quincy Adams

Old Man Eloquent

 民主共和党
 Democatic-Republican
 
 在任期間
 1825年3月4日~1829年3月4日
 生没年日
 1767年7月11日~1848年2月23日
 身長・体重
 170.2cm/79.5kg

 

大統領の子

 ジョン・クインジー・アダムズ大統領は1767年7月11日、マサチューセッツ植民地ブレインツリー(現在のクインジー)で第2代大統領になった父ジョン・アダムズと母アビゲイルの間に長男として生まれた。ジョン・クインジーという名前はクインジーの街の名前の由来になった母方の曽祖父ジョン・クインジー大佐に因んで命名された。ちなみにQuincyは濁ってクインジーと読むのが正しい。
 父に随行してジョン・クインジー・アダムズはヨーロッパ各地を歴訪し、13才の時に駐露アメリカ大使の秘書兼通訳としてロシアに向けて出発した。正規教育を受けた期間は短かったが父ジョンの厳しい薫陶を受けて、父と同じくハーヴァード大学に進んだ。

外交面で活躍

 ジョン・クインジー・アダムズはオランダ、ポルトガル、プロシア、ロシアなど各国の公使を務めた後、マサチューセッツ州上院議員、連邦上院議員などを歴任し、モンロー政権下で国務長官に就任した。ジェームズ・モンロー大統領の下で国務長官としてジョン・クインジー・アダムズはモンロー・ドクトリンの形成に大きく貢献し、アメリカの外交政策の基盤を作った。

偉大なる雄弁家

 1824年の大統領選挙でジョン・クインジー・アダムズはアンドリュー・ジャクソンと大統領の座を争ったが、いずれの候補も過半数の選挙人票を獲得できず裁定は下院に委ねられた。その結果、一般投票でも選挙人票でも劣勢であったにも拘らず、ジョン・クインジー・アダムズの当選が決定した。ジョン・クインジー・アダムズ大統領は対立党派の激しい抵抗のために著しい業績をあげることができなかった。さらに1828年の大統領選挙でジャクソンに破れ、父と同じく1期のみの大統領在任となった。退任後も連邦下院議員として重きをなし、奴隷制に対して独自の反対論を展開した。そのため「偉大なる雄弁家」や「人権の擁護者」と呼ばれた。

ジョン・クインジー・アダムズ大統領の参考情報