サミュエル・サザード海軍長官 |
サミュエル・サザードの経歴については、モンロー政権のサミュエル・サザード海軍長官を参照せよ。
海軍長官としてサザードは、海軍病院の建設に着手し、海軍士官学校の建設を提言した。他にもアメリカ沿岸部の海図作成を推し進め、海事刑法の改編、海兵隊の増強、パナマ横断航路の開発などを行なった。海軍長官に加えてサザードは、1825年3月7日には臨時財務長官を、1828年5月26日には臨時陸軍長官を兼ねている。
海軍長官を退任後、サザードはニュー・ジャージー州検事総長に就任した。さらに1832年、ニュー・ジャージー州知事に選ばれた。州知事として短期間在任した後、サザードは再び連邦上院議員に選出された。ホイッグ党の指導者の1人としてサザードはジャクソン政権の諸政策に対する反対でよく知られている。1841年から1842年にかけては上院議長代行を務めた。その際に、合衆国銀行の特許更新問題や関税政策など重要な問題に関して票決を行なった。上院議員を退任後間もなくして、尿毒症を患い、ヴァージニア州フレデリックスバーグで亡くなった。 |
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