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アメリカ歴代大統領研究ポータル

ジェームズ・モンロー大統領
第4代アメリカ大統領
飾り

ジェームズ・マディソン

ジェームズ・マディソン
説得力 55.2 18位
危機対応力 49.5 22位
経済管理力 53.1 18位
カリスマ 65.8 10位
外交力 44.7 31位
行政手腕 55.4 22位
議会連携力 55.9 15位
決断力 54.7 18位
公正性 42.9 20位
ヴィジョン 58.5 18位
C-SPANのランキングに拠って作成
マディソン大統領の能力値
完全な詳細は『ジェームズ・マディソン伝記事典』に収録。
ジェームズ・マディソン大統領の概要

James Madison

Father of the Constitution

 民主共和党
 Democratic-Republican

 在任期間
 1751年3月16日~1836年6月28日
 生没年日
 1809年3月4日~1817年3月4日
 身長・体重
 162.6cm/45.4kg

棒石鹸の半分

 ジェームズ・マディソン大統領は1751年3月16日(ユリウス暦では1750/51年3月5日) 、ヴァージニア植民地キング・ジョージ郡ポート・コンウェイで生まれた。12人中(早逝・死産を含む)最初の子供であった。父ジェームズは同植民地オレンジ郡に約2850エーカーのモンペリエという農園と奴隷を所有し、タバコ、小麦、トウモロコシなどを栽培していた。
 ジェームズ・マディソンは歴代大統領の中で最も小柄で、「棒石鹸の半分より大きくない」と友人達から評された。また「小さなジミー」とも呼ばれていた。

憲法の父

 独立戦争時、ジェームズ・マディソンは大陸会議と連合会議にヴァージニア代表として参加した。ジェームズ・マディソンの最大の功績は、1787年に行われた憲法制定会議で各邦の意見を調整して憲法案を妥結させたことである。それ故、「憲法の父」と呼ばれる。憲法批准を実現するために古典的名著『ザ・フェデラリスト』の執筆に加わった。

再びイギリスと戦火を交える

 1808年の大統領選挙で民主共和党候補として当選してトマス・ジェファソンの後継者となった。ジェファソンとは長年の盟友であった。マディソン大統領は1812年戦争でイギリスと戦火を交え、戦況はしばしば不利であったが在任中に何とか講和にこぎつけた。

マディソン大統領の参考情報