リチャード・ラッシュ司法長官 |
リチャード・ラッシュ(1780.8.29-1859.7.30)は、フィラデルフィアで生まれた。父ベンジャミンは、医師で独立宣言の署名者である。ラッシュは1797年、カレッジ・オブ・ニュー・ジャージーを卒業した。その後、法律を学び、1800年に法曹界に入った。1807年、チェサピーク号事件が起きた際に、イギリスを非難する演説を行い衆目を集めた。ペンシルヴェニア州の検事総長を務めた後、ラッシュは1811年に財務省の会計監査官になった。財務長官ギャラティンの信任を得ただけではなくマディソンをはじめ民主共和派の指導者の信頼を得た。1812年7月4日、ラッシュは議会でイギリスに対する宣戦布告を正当化する演説を行った。それにはラッシュのイギリスに対する敵意が表れている。
1814年2月、マディソン大統領は、ラッシュに財務長官職と司法長官職のいずれかに就くように勧めた。ラッシュは司法長官職を選んだ。司法長官としてラッシュは、『合衆国法大全』(1815)を編んだ。さらに「アメリカの司法制度」(1815)」で、アメリカの司法制度が道徳的に優れていることを論じた。ブレーデンズバーグでマディソンに随従し、首都からの退避にも従った。
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