ティモシー・ピカリング国務長官 |
ティモシー・ピカリングの経歴については、ティモシー・ピカリング郵政長官を参照せよ。ピカリングはワシントン政権に引き続いて国務長官職に留まった。ピカリングは擬似戦争に際しては、イギリスと軍事同盟を結ぶべきだと考えていた。ハミルトンに傾倒していたピカリングは、アダムズがフランスへの特使派遣を決定した際に強硬に反対を唱えた。
アダムズは、マクヘンリー陸軍長官に続いて、ピカリングに自ら辞職するように要請したが、拒絶されたためにピカリングを免職せざるを得なくなった。国務長官が免職された史上唯一の事例である。1800年の大統領選挙でピカリングはアダムズの再選阻止に一役買った。
免職後、ピカリングはペンシルヴェニア州西部の土地開発に乗り出したが途中で放棄した。その後、1803年から1811年まで連邦上院議員を務め、1813年から1817年までは連邦下院議員を務めた。 |
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