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アメリカ歴代大統領研究ポータル

フランクリン・ピアース大統領
第13代アメリカ大統領
飾り

ミラード・フィルモア

ミラード・フィルモア
説得力 31.1 39位
危機対応力 37.6 36位
経済管理力 36.8 34位
カリスマ 31.3 36位
外交力 38.1 38位
行政手腕 40.2 35位
議会連携力 41.7 33位
決断力 32.8 37位
公正性 26.9 38位
ヴィジョン 34.4 35位
C-SPANのランキングに拠って作成
フィルモア大統領の能力値

ミラード・フィルモア大統領の概要

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Millard Fillmore

The American Louis Philippe

 ホイッグ党
 Whig

 在任期間
 1850年7月10日〜1853年3月4日
 生没年日
 1800年1月7日〜1874年3月8日
 身長・体重
 175.2cm/不明

徒弟奉公

 ミラード・フィルモアはニュー・ヨーク州カユガ郡サマーヒルで生まれた。父ナサニエル(1771.4.19-1863.3.28)と母フェーベ(1780-1831.5.2)の9人の子供の2番目であった。父ナサニエルは小作人で貧しい家庭であった。そのためフィルモアは徒弟奉公に出された。しかし、フィルモアは自ら自由を買い戻して教師になった。さらに法律を学び法曹界に入った。

ホイッグ党の有力者

 ニュー・ヨーク州下院議員がフィルモアの政治経歴の始まりであった。その後、連邦下院議員に当選し、下院歳入委員会の長にも選ばれた。フィルモアはホイッグ党の中で北部を代表する一人として知られるようになった。ニュー・ヨーク知事選挙で民主党候補に敗れた後、1848年の大統領選挙でザカリー・テイラーとともに戦う副大統領候補を探していたホイッグ党の指導者達の目に留まった。

1850年妥協の成立

 テイラー大統領が在職中に病死するとフィルモアは副大統領から昇格し大統領に就任した。1850年妥協を支持し、諸法案に署名した。しかし、妥協に反対する閣僚の多くが辞任した。1852年、ホイッグ党から大統領候補指名を獲得することに失敗し、引退を余儀なくされた。引退後もアメリカ党から大統領選に出馬したが落選した。

フィルモア大統領の参考情報