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アメリカ歴代大統領研究ポータル

ジェームズ・ブキャナン大統領
第14代アメリカ大統領
飾り

フランクリン・ピアース

フランクリン・ピアース
説得力 30.0 40位
危機対応力 24.5 41位
経済管理力 33.3 38位
カリスマ 26.9 38位
外交力 33.4 38位
行政手腕 32.8 39位
議会連携力 34.0 39位
決断力 25.6 40位
公正性 20.0 41位
ヴィジョン 26.7 40位
C-SPANのランキングに拠って作成
ピアース大統領の能力値

フランクリン・ピアース大統領の概要

Franklin Pierce

Handsome Frank

 民主党
 Democratic

 在任期間
 1853年3月4日〜1857年3月4日
 生没年日
 1804年11月23日〜1869年10月8日
 身長・体重
 177.8cm/不明

 

父は地元の名士

 フランクリン・ピアースはニュー・ハンプシャー州ヒルズボローで生まれた。父ベンジャミン(1757.12.25-1839.4.1)と母アンナ(1768-1838.12)の8人の子供の中で6番目であった。父ベンジャミンはニュー・ハンプシャー州知事を務めている。ピアースは15才の時にボードウィン・カレッジに入学した。卒業後、法律を学んで弁護士になった。

米墨戦争の勇士

 父ベンジャミンが州知事を務めるかたわら、ピアースもニュー・ハンプシャー州下院議員として政治家としての一歩を踏み出した。その後、連邦下院議員、連邦上院議員を歴任した。ニュー・ハンプシャー州の民主党の領袖として重きをなした。米墨戦争が勃発すると、大佐の辞令を受けて出征した。コントレーラスの戦いで負傷し、帰還後、勇士として迎えられた。混戦であった1852年の民主党大統領候補指名で急浮上し指名を獲得した。

カンザス=ネブラスカ法をめぐる対立

 ピアースが大統領に就任した直後に成立したカンザス=ネブラスカ法をめぐって南北の対立が激化した。ピアースは法案を支持したことで北部の法案反対派からの支持を失い、大統領候補指名を獲得することができなかった。

ピアース大統領の参考情報