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アメリカ歴代大統領研究ポータル

ウォレン・ハーディング大統領
第28代アメリカ大統領
飾り

ウッドロウ・ウィルソン

ウッドロウ・ウィルソン
説得力 75.6 9位
危機対応力 73.3 9位
経済管理力 68.8 7位
カリスマ 78.0 6位
外交力 70.8 10位
行政手腕 68.4 7位
議会連携力 54.0 17位
決断力 86.6 4位
公正性 38.4 27位
ヴィジョン 69.0 10位
C-SPANのランキングに拠って作成
ウッドロウ・ウィルソン大統領の能力値

ウッドロウ・ウィルソン大統領の概要

Thomas Woodrow Wilson

The Phrasemaker

 民主党
 Democratic

 在任期間
 1913年3月4日〜1921年3月4日
 生没年日
 1856年12月29日〜1924年2月3日
 身長・体重
 180.3cm/77.2kg
 
 

南北戦争の記憶

 ウッドロウ・ウィルソンはヴァージニア州ストーントンで生まれた。父ジョゼフ(1822.2.28-1903.1.21)と母ジェシー(1826.12.20-1888.4.15)の4人の子供の3番目であった。父ジョゼフは長老派教会の牧師であった。ウィルソンの幼少期の記憶は、南北戦争が始まりそうだという通行人の言葉だったという。南北戦争のためにウィルソンは9才まで学校に通うことができなかった。ウィルソンはカレッジ・オブ・ニュー・ジャージー(現プリンストン大学)を卒業後、ヴァージニア大学ロー・スクールに進んだ。弁護士として開業後、ジョンズ・ホプキンズ大学大学院で博士号を取得した。

プリンストン大学学長

 各校で政治学と歴史を教授したウィルソンは母校に戻って教鞭を執った。8年間にわたって学長に在職したが、ニュー・ジャージー州知事選挙に立候補するために辞職した。州知事としてウィルソンは各種の改革を断行し、政治ボスとの対決姿勢を示した。1912年の大統領選挙で民主党候補となり、共和党の分裂のおかげで当選を果たした。

第1次世界大戦

 ウィルソンは大統領としてクレイトン反トラスト法をはじめとする改革的な諸法案を成立させた。第1次世界大戦の勃発に際して、当初は中立政策を堅持したが最終的には参戦に踏み切った。14ヶ条の原則を公表し、戦後の世界構想を明らかにした。パリ講和会議に出席したウィルソンは国際連盟を提案したが、上院の強硬な反対にあって非加盟に終わった。

ウッドロウ・ウィルソン大統領の参考情報