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アメリカ歴代大統領研究ポータル

ウッドロウ・ウィルソン大統領
第27代アメリカ大統領
飾り

ウィリアム・タフト

ウィリアム・タフト
説得力 42.4 27位
危機対応力 26.9 38位
経済管理力 27.9 39位
カリスマ 38.9 31位
外交力 29.2 42位
行政手腕 26.9 42位
議会連携力 35.3 38位
決断力 39.4 32位
公正性 28.5 37位
ヴィジョン 28.4 39位
C-SPANのランキングに拠って作成
ウィリアム・タフト大統領の能力値

ウィリアム・タフト大統領の概要

William Howard Taft

Big Chief

 共和党
 Republican

 在任期間
 1909年3月4日〜1913年3月4日
 生没年日
 1857年9月15日〜1930年3月8日
 身長・体重
 188.0cm/150.7kg
 
 

政府高官の子

 ウィリアム・タフトはオハイオ州シンシナティで生まれた。父アルフォンゾ(1810.11.5-1891.5.21)と母ルイーズ(1827.9.11-1907.12.8)の10人の子供の7番目であった。父アルフォンゾは成功した弁護士であり、グラント政権で陸軍長官と司法長官を務めている。タフトはイェール大学を次席で卒業後、シンシナティ大学ロー・スクールで法律を学んだ。

閣僚として訪日

 法曹界に入ったタフトは、ハミルトン郡の検事補になった。シンシナティの上級裁判所判事や検察官、連邦巡回裁判所判事を歴任した。米西戦争後、総督としてフィリピンの統治に携わった。セオドア・ルーズベルト大統領から陸軍長官に任命された。1905年に日本を訪れ桂太郎総理と会談し、タフト・桂覚書を交わしたことで知られている。1908年の大統領選挙でルーズベルトの後援を受けて当選した。

二府の最高職を務める

 タフトは内政面では反トラスト法を執行し、外交面ではカリブ海と中米に対してドル外交を展開した。1912年の大統領選挙は、前大統領ルーズベルトが革新党を率いて参戦するという混戦の中、現職であるタフトの得票は三位に終わった。退任後、連邦最高裁長官を務めた。行政府と司法府の最高職を経験したのはタフトのみである。

タフト大統領の参考情報