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セオドア・ルーズベルト大統領
第25代アメリカ大統領
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ウィリアム・マッキンリー

ウィリアム・マッキンリー
説得力 61.5 13位
危機対応力 64.0 14位
経済管理力 58.0 13位
カリスマ 58.1 17位
外交力 64.5 15位
行政手腕 62.9 13位
議会連携力 62.3 10位
決断力 62.9 13位
公正性 42.7 21位
ヴィジョン 62.4 15位
C-SPANのランキングに拠って作成
ウィリアム・マッキンリー大統領の能力値

ウィリアム・マッキンリー大統領の概要

William McKinley

Idol of Ohio

 共和党
 Republican

 在任期間
 1897年3月4日〜1901年9月14日
 生没年日
 1843年1月29日〜1901年9月14日
 身長・体重
 170.2cm/90.8kg
 

大学を中退

 ウィリアム・マッキンリーはオハイオ州ナイルズで生まれた。父ウィリアム(1807.11.15-1892.11.24)と母ナンシー(1809.4.22-1897.12.12)の9人の子供の7番目の子供であった。父ウィリアムは銑鉄製造業を営んでいた。マッキンリーはアレゲーニー・カレッジに進学したが病気のためにドロップアウトした。療養後、大学に復帰しようとしたが家庭の経済状況により教師を務め、郵便局で働いた。南北戦争で出征し、後に19代大統領となるヘイズと同じ部隊で戦った。戦後、法律を学んで法曹界に入った。

オハイオのアイドル

 マッキンリーはスターク郡の検事に立候補して見事当選を果たした。しかし、再選を阻まれてからは弁護士業に勤しんだ。その後、共和党から連邦下院議員に選出され計12年間にわたって在職した。下院議員としてマッキンリーは高関税政策を主張し、マッキンリー関税法案を提出した。さらにオハイオ州知事選に出馬し、民主党候補を抑えて当選した。知事を2期務めた後、1896年の大統領選挙で勝利をおさめた。

米西戦争

 マッキンリーは史上最高のディングリー関税法案を成立させた。また金本位制を確立させた。米西戦争でスペインを破り、多くの海外領土を獲得した。マッキンリーは最初の近代的大統領であり、今日の行政府の基礎の多くがマッキンリー政権下で築かれた。1900年の大統領選挙で再選されたが、就任後、銃撃され亡くなった。

ウィリアム・マッキンリー大統領の参考情報