ジョン・マクリーン郵政長官 |
ジョン・マクリーン(1785.3.3-1861.4.3)は、ニュー・ジャージー邦モリス郡の農園主の子として生まれた。1789年にヴァージニア、1790年にケンタッキー、そして1796年にオハイオに一家とともに移った。16才まで父の農園で働いた。それまでに地元の学校で古典を2年間学んだ他、家庭教師の下で学んだ。
1806年、マクリーンはオハイオ州ハミルトン郡の一般訴訟裁判所で書記として2年間働いた。その間、法律を学び、1807年に法曹界に加入した。結婚後、オハイオ州レバノンに移住し、同地で開業した。また週刊紙ウェスターン・スターを発刊した。1811年から1812年にかけてはシンシナティの連邦公有地管理局の調査官を務めた。
1812年10月、オハイオ州の議席割り当て増員にともなって連邦下院議員に当選した。マクリーンは1812年戦争を一貫して支持した。1816年まで在職し、オハイオ州最高裁判事に選出されたことを機に連邦下院議員を退任した。1822年、モンロー大統領はマクリーンを連邦公有地管理局長官に任命した。さらに翌年、モンロー大統領はマクリーンを郵政長官に任命した。マクリーンはジョン・クインジー・アダムズ政権でも引き続き在職した。 |
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