フォードの時代―新対中政策の展開


食の安全
 最近、中国製の食品の安全性が問題になっている。目だったニュースの中では食品ではないが、中国製の歯磨き粉に有害物質が入っているとして販売業者が回収した事件がある。日本は食糧自給率が四割程度と先進国の中で断トツに低い。年々自給率は低下する一方だ。食糧を自国で確保できないのは非常に不安定だと言えるかもしれない。最近では海外での海産物の買い付けが競り負けで思うようにいかないという現象も起きている。
 食は人間の基本行動である。食が無ければ何よりも先ず人間が生物として生きてはいけない。例えばアメリカは一時期、食育を重視し、食品メーカーに様々な規制をかけようとしたが、食品メーカーの反対にあい失敗している。アメリカのスーパーを見て驚くのがそのボリュームである。また量に従って粗悪なものも少なくない。アメリカでは四分の一の人が肥満だと言われている。また皮肉なことに貧困層ほど肥満が多い。それは安価にカロリーが摂取できるファースト・フード類を多量に食べるからで、富裕層は健康に配慮している人は健康食を選択できるために肥満とはならない。肥満は遺伝的な問題もある。例えばネイティブ・アメリカンは白人系統のアメリカ人より肥満し易い。何故か、乏しいカロリーでも生きていけるような体質になっていたからで、それなのに急にカロリーを摂取すると全部脂肪になってしまう。もともと乏しいカロリーを蓄えやすい体になっているのだ。
 肥満は食に関わる社会問題である。近年日本でも食育基本法ができた。食の乱れが問題になっている。家庭環境では個食である。特に子供が個食になると必要な栄養分をとらなくなり成長に必要な栄養分が不足してしまう。その結果、集中力の欠如や免疫力の低下などをもたらす。食の問題を国の問題としてとらえる必要があると思う。

第二次世界大戦後の中国
 中国は清王朝滅亡後、軍閥混戦時代を経て最終的には蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる共産党のどちらが主導権を握るか熾烈な争いを続けていた。しかし、日本が大陸侵攻をはかるにつれ一旦内紛をおさめ共同して日本に抗戦するようになった。日本が敗北し、中国が日本の占領下から解放されると国民党と共産党の争いは再燃し武力衝突が起きた。アメリカはソ連が満州に勢力を伸張させるのを恐れて45年9月に海兵隊を上陸させている。しかし、アメリカは世界中の戦後処理に追われ、トルーマン大統領はマーシャル前参謀総長を派遣し、国民党と共産党を和解させようとした。アメリカとしては中国で内戦が起きた隙にソ連が満州に勢力を伸張させるのを危惧していたのである。国民党と共産党は46年1月にアメリカの仲介によって停戦協定を結んだ。しかし、同年7月に国民党と共産党の衝突が再燃、内戦となった。アメリカは中国の共産化を懸念し、国民党を支援した。内戦勃発当初はアメリカからの支援を受けた国民党軍が共産党軍を破った。しかし、共産党軍は地方の農民を土地解放で味方につけ巻き返しをはかり、47年半ばから反撃にでた。49年末までには中国全土を共産党軍が掌握、国民党軍は台湾に逃れた。中国本土は中華人民共和国として独立を宣言し、いっぽう国民政府は台湾で政権を存続させた。中華人民共和国は戦争で荒廃した国を立て直すにあたってソ連に経済援助をあおぎ中国はソ連の同盟国となった。

朝鮮戦争での米中衝突
 朝鮮戦争については以前やったので省略する。今回は、何故朝鮮戦争に中国が介入したのか簡単に説明する。アメリカが朝鮮戦争に介入した当初の目的は北朝鮮軍を北緯三十八度線以北に押し戻すことであった。トルーマンは中国の介入はありえないと予想していた。軍事的情勢の好転を契機にアメリカの戦争目的は次第に北朝鮮体制壊滅までエスカレートしていった。
 毛沢東は50年10月13日に周恩来に宛てた手紙で語っている。国連軍(実質はアメリカ軍)が鴨緑江を越える可能性と、中国に長期にわたる経済的、政治的影響力を与える可能性について語っている。周恩来は国連軍の北上に対して警告を発していたがそれは無視されていた。
 中国は国連軍の北上に対して、「米帝国主義が朝鮮を踏み台にして次に社会主義中国を侵略」しようとしていると判断し、鴨緑江対岸に出動する準備を整えた。国連軍の38度線突破を契機に義勇軍派遣を決定した。
 中国義勇軍の介入で朝鮮戦争は膠着状態に陥り、最終的には停戦交渉がなされ今に至っている。

SEATOの成立と台湾危機
 アメリカ主導で英、仏、豪、ニュージーランド、タイ、フィリピン、パキスタンで東南アジア集団防衛条約機構が1954年9月に結成された。その目的は、北ベトナムと中国に対する包囲網を形成することであった。
 中国はそれに過敏に反応し台湾領の金門島と馬祖島を砲撃し、さらに翌年一月に大陳島を占拠した。アイゼンハワーはすぐさま議会に、台湾と澎湖諸島を防衛する権限を求めた。台湾はアメリカと共に中国を攻撃することを主張したが、アイゼンハワーはそれを抑え、それ以上の紛争拡大を防止した。これはアメリカが強い姿勢を見せながら中国を抑止し直接衝突を回避するというアイゼンハワーの巧妙な駆け引きの成功であった。これを第一次台湾危機と言う。
 その後、四年間、米中関係は取り立てて過熱することはなかった。しかし、1958年8月に金門、馬祖島は再び問題の種となった。アメリカ国内ではこの両島を放棄してもよいとの意見があったが、アイゼンハワーは国民党軍が、この両島から非戦闘民を撤退させる支援を行った。台湾海峡の制海権はアメリカの第七艦隊が握っていたので中国も積極的な攻撃をしかけてこなかった。これを第二次台湾危機と言う。

中ソの緊張
 中ソ連間は、ソ連が中国の経済復興を助けることから始まり最初は良好であった。しかし、キューバ危機でソ連がアメリカに譲歩したことを初めにアメリカとの平和協調路線に走ろうとしたことを契機に中ソ間の関係はぎくしゃくし始めた。中国はアメリカ帝国主義と対決しつつ、独自の社会主義建設を目指していた。ソ連のそうした宥和的態度は中国の不信感をまねいたのである。さらにチベットでの反中国運動では、チベットを支援するインドをソ連は支持し、その結果、ソ連は中国に対する核技術支援を打ち切った。そのうえソ連は中国への経済、技術支援を破棄し、中ソ間は完全に冷え切った。ニクソンはこの中ソ間の緊張につけこんだ。71年4月に日本に滞在中であったアメリカ卓球選手団が中国に招待されたことを契機に対中関係改善が始まった。さらに同年にはキッシンジャーが秘密裏に北京を訪問し、周恩来と会談、ニクソン訪中が決められた。ニクソン訪中では台湾問題などが話し合われたが未解決に終わっているが対中関係に大きな得点を残したと言える。

フォード政権
 フォード政権はニクソン政権から引き継いで中国との国交正常化を目指した。結局、正式な中国との国交正常化はカーター政権に持ち越された。
フォード政権の成果としては、ソ連とのデタントの維持を目指し、軍縮に積極的に取り組んだ。またベトナム戦争をめぐってゆるみがちであった西側諸国の連帯を再び結束させるように諸国を歴訪した。
 しかし、フォードは急転するインドシナ情勢に対応することができなかった。カンボジア、南ベトナム、ラオスの三国が共産主義の手に落ちたのである。
南北ベトナム共に停戦協定を守らず衝突が頻発した。アメリカは、対外的関心を失っていた。その背景にはアメリカの自信喪失がある。ウォーターゲート事件、石油ショック、インフレ、失業率の高騰などアメリカは多くの国内問題を抱えていた。
 フォード大統領は南ベトナムからのアメリカ人の引き上げを命令し、ここに本当のベトナム戦争の終結がなされた。「この引き揚げはアメリカ史における一つの章を閉じるものである」。1975年4月29日。その日をアメリカ人は静かに迎えた。アメリカの経済支援は、ピーク時の半額以下に減少していた。1975年3月10日、南ベトナムの町バンメトートを北ベトナム軍が攻略。それに対応して南ベトナム政府は、首都サイゴンの防衛に専念し、北ベトナムの補給戦を長くし弱らせる篭城作戦に出た。その他の地域は戦略的に放棄することに決めたのである。しかし、放棄する際の撤退の隙をつかれ南ベトナム軍は潰走し、4月サイゴン周辺の最後の防御線が崩壊した。南ベトナム最後の大統領ズオン・バン・ミン大統領は無条件降伏を伝えた。最後のアメリカ大使マーチンは「これで終わりだな」とつぶやいてサイゴンを脱出した。
 そして1976年にアメリカは建国二百年を迎えた。しかしそれはお祭りムードではなかった。ソ連の軍事的の追い上げや西側諸国の復興からアメリカの相対的な実力は衰退したのである。アメリカは建国二百年にして、自らの力の限界を悟ったのである。
 核軍縮については1972年にSALTI(核兵器削減交渉)がニクソン政権によって締結されていた。しかし、それは多くのアメリカ人にとって満足のいくものではなかった。なぜならそれは核兵器を搭載した重爆撃機に関しては除外されていたからである。キッシンジャーはニクソン政権に引き続き、フォード政権でも辣腕をふるい、政権発足後二ヶ月してモスクワを訪問してさらなる核兵器削減交渉であるSALTUをまとめてきた。SALTUの目的は超大国間のバランスを適正に保つことである。1974年フォードとブレジネフはソ連領内で会談し、ミサイルだけではなく重爆撃機についても削減交渉を行うことを約束した。



質疑応答・感想


Q、アメリカは共産主義とは相容れない主義の国なのに中ソの不仲につけこんで中国に近付いたのはどのような目的があったのですか?ニクソン訪中の時、中国の反米帝国主義と社会主義建設という目的はどのようになっていたのですか?
A、冷戦外交の交渉カードという意味合いが強かったと思います。ソ連を牽制できますからね。中国はソ連との対立で孤立化のマイナス面を考慮したのでしょう。その際、一時的に自国の基本方針には目をつぶるということです。外交ならではの柔軟性です。

Q、最近何故このような中国のイメージダウンに繋がる報道が増えてきているのでしょうか?
A、意図的か、意図的ではないのかは皆目検討がつきません。

Q、夏にベトナムに旅行に行く予定ですが、ここに行っておくべきなどというお勧めスポットはありますか。
A,是非、都市部だけではなく農村部にも足を運んで下さい。人々の生活が少しでも実感できると思います。ツアーでは先ず行く機会はないと思いますが、個人旅行ならではの醍醐味です。旅のお供は地球の歩き方よりもロンリー・プラネットを推奨します。マイナーな遺跡なども載っています。私は依頼された調査でアメリカに行くことになるかもしれません。

Q、国民が放っておいてもいいと思っていたのにもかかわらずアメリカが住民を助けたのがいまいち分からなかったです・
A、アメリカにとっては支援国である台湾を完全に見捨てることは道義に悖る行為でした。

Q、中国産のほうが安いのでつい買ってしまう人が多いと思います。今後の日本の対策は?
A、国内の食の安全性を高めることでしょう。例のミンチ事件のようなことが起こらないように。結局、食は安全性が一番です。

Q、なぜアイゼンハワーは第一次台湾危機の時に台湾が中国に攻撃しようとしたのを止めたのですか?
A、全面戦争を回避するためです。

Q、インドはどうしてチベットを応援していたのでしょうか?
A、チベットが中国の完全な支配下に組み入れられると安全保障上不利になるからです。またチベットは古くは吐蕃と言い長い間独立した政権でした。そこに中国の支配が及ぶようになり反中運動が起きたのです。現在、チベットには鉄道が開通し、今後ますます中国本土との交流が深まると思います。それにつれ分離独立の気運は下火になるでしょう。鉄道開通は、経済的交流だけではなく、いつでも大量の軍を送り込めることを意味します。

Q、全ての人民に平等に土地が与えられたとは思いません。やはり差別があったと思うのですが?実際はどうなんですか?またそれにより人民の反乱などは起こらなかったのですか?
A、原則は土地の平等分配ですが、実際の制度としては人民公社という結社が組織され、そのもとで人民は働くという形態をとりました。詳しくは人民公社について調べてみると分かりますよ。

Q、フォードの功績でこれというものはありますか?
A、SALTU(戦略兵器制限交渉)の開始です。

Q、フォード大統領は自宅の農園でほとんどをすごしていたとの話ですが、ちゃんと仕事はしていたのですか?支持率はどれくらいあったのですか?
A、フォード大統領を評した言葉に、「彼の一番いいところは敵のないことだ」と言われたように個人としては好かれましたが政治家としてはあまり評価されていません。農園ではちょっとここでは書けないような悪戯を記者にしています。

Q、朝鮮戦争の際に国連軍は中国まで進軍するつもりだったのでしょうか?中国、ソ連はアメリカ軍の後方支援の役割を担っていた日本に対してどのようなことをしていたのでしょうか?
A、マッカーサーは進軍する気があったようです。中国、ソ連は日本に対して諜報活動くらいはしていたと思います。

Q、金門と馬祖は別々の島ですか?
A、別の島です。

Q、今、アメリカと朝鮮の仲はどんな感じなのですか?
A、アメリカは衝突を回避しようとしているのでしょう。第二のイラクにならないように。

Q、人民服を中国人が着なくてもよくなったのはなぜですか?
A、中国が市場開放政策を打ち出すまでそもそも国営商店には、外国人観光客向け以外は限られた物品しかありませんでした。しかし、市場開放政策で様々な物品が流入するようになり、自然に人民服が淘汰されたというわけです。本当は中国人も人民服以外を着たかったようですね。

Q、いつ頃から中国の力は低下したのでしょう?
A、産業革命によりヨーロッパ列強があまりに急激に強大化した一方で、清王朝は長年降り積もった組織疲労により新たな改革をうまく導入することができませんでした。技術革新のスピードに置いていかれたんですね。ただし美術工芸品・文化レベルに関して清王朝は目を瞠るものがありました。

Q、協定後、引き上げをし始め、降伏の時には全アメリカ軍を引き上げさせたということですか?
A、正確には、アメリカ軍だけではなく、大使館員やアメリカの企業関係者などすべてのアメリカ人です。

Q、「寡欲は大欲にまさる」というのをもっと具体的に教えて下さい。
A、欲をかきすぎるのはよくないということです。ほどほどが丁度よいということです。

Q、今まで拡大してきたアメリカの世界に対する影響力は今後、どのようになるでしょう?
A、EUの影響力が拡大しています。EUには多数の国による集合体ですが、そのためにお互いにチェックしあうという自己抑制機能が備わっています。ユーロもドルと並立する基軸通貨に成長しました。アメリカの影響力は相対的に低下するでしょう。

Q、もし台湾有事が発生した場合、台湾関係法に基づきアメリカは介入すると思いますか?
A、直接的な介入はできるだけ避けようとするでしょう。外交的な解決を優先すると思います。

Q、台湾海峡の制海権をアメリカが掌握することはアメリカにとってよいことでしょうか?中国に対して影響はあったのですか?
A、中国が台湾を占領しようと考えれば、当然、陸軍を台湾に上陸させなければなりません。制海権を掌握するというのはすなわち台湾を防衛するということです。

Q、ニクソンは中ソ連の関係悪化につけこんで米中関係を修復しようとしたというのはなかなかやり手だと思いました。この中国とは毛沢東のほうですか。
A、そうです。

Q、人民の協力なしで成立した国家として始皇帝の秦帝国を挙げることはできないでしょうか?
A、秦は他の戦国七雄を征服しました。その際、秦の国民は高度に管理されていました。言ってみれば軍事国家です。征服した他国の人民を酷使したために反乱を招いたと言えるでしょう。占領地政策の失敗だと言えます。占領地を宣撫することが重要ですが秦はそれを怠りました。

Q、アメリカは今後、世界で共産政権が立つようなことになったらイラクに介入したように権力を行使するつもりなんですか?
A、冷戦の最中ならともかく、現在の世界情勢の中ではその可能性は皆無でしょう。

Q、長期的視点で見た時に現状の中国と民主化(あるいは分裂)した中国のどちらが日本にとって有益だと思いますか?それから台湾は独立できると思いますか?日本にとってはどちらがよいでしょう?
A,分裂して国情が不安定になると経済的な面では日本にとってマイナスです。ただミリタリー・バランスの面ではプラスになるでしょう。一概には言えません。どの面を重視するかで答えは変わってきます。台湾は数少ない親日的な勢力として重要な存在だと思います。ロシアと中国は膨大な天然資源を持っていますから資源外交という面では今後力を強めていく一方だと思います。

Q、最近妙に身体の代謝がよく常に汗をかいています。先生はどうでしょうか?
A、健康でよいことです。私も汗をかいています。冷房は極力使わないので逆に電車の中が寒いくらいです。資源の無駄ですね。夏は暑くて当たり前です。

Q、ピンポン外交で米中の関係が改善したというところがいまいちよく理解できませんでした。ドイツ人の何とかさんについて気になります。
A、中国が意思表示をしたという契機が重要だったのです。たとえそれが選手団を招聘するという些細なことであってもです。ドイツは国民政府と利権に関して密接な繋がりがあったので、国民政府を支援するために軍事顧問を派遣していました。その中でも最も有名なのがフォン・ゼークトです。短期間ですが蒋介石の軍事顧問をつとめ共産党との内戦を支援しました。第二次世界大戦前の話なのであまり詳しくは説明しませんでした。

Q、中国は何故台湾に二度目の攻撃をしたのですか?
A、アメリカの反応を探るためだと思います。

Q、ろうじょうってどういう意味ですか?何故その時に逃げ腰になるのですか?
A、篭城とは堅固な拠点に篭って敵を迎え撃つ策です。南ベトナム政府は首都サイゴンで篭城を行い、北ベトナム軍の疲弊を誘おうとしましたが、各地に派遣していた軍隊を撤退させる時に追い討ちを受けてしまいました。

Q、何故アメリカは共産主義をあそこまで嫌うのでしょうか?共存は難しいのでしょうか?
A、根本的な理念や制度が違うからです。ほとんど相容れる余地はないでしょう。

Q、フォードの時代は結局、アメリカにとっては自信喪失の時代だったということでしょうか?
A、そうですね。自信喪失と不信の時代ですね。

Q、この前のサミットでブッシュは本当に腹痛だったのですか?
A、プレッツェルを喉に詰まらせて窒息しかけたこともあるそうですからあながち嘘ではないかもしれません。

C、やっと長い就職活動も終わります。テストで先生のお話が役立ち感謝しています・
A、おめでとう。ところで何が役になったのでしょう?気になります。

Q、南ベトナムにいたアメリカ人に引き揚げを命じた時、国民としてはそれを仕方ないと感じたのか、反発を覚えたのか、どちらも思ったのかどう感じたかが気になりました。
A、基本的にあきらめの気持ちですね。

Q、SEATOは現在も北朝鮮など社会主義の国々を監視しているのですか?アウン・サン・スーチーさんが拘束、軟禁されていたのは何故ですか?
A、SEATOは解散しています。アウン・サン・スーチー女史が軟禁されていたのは軍事政権にとっては、その影響力の大きさから目の上のたんこぶのような存在だったからです。

Q、ロシアと中国の不仲状態を利用してアメリカが中国に接近していった時に国民の対アメリカ感情はどうだったのでしょうか?
A、朝鮮戦争で甚大な被害を中国軍は出していますから、国民感情は全然変わっていなかったと思います。

Q、何故SEATOにオーストラリアやニュージーランドも入っているのでしょうか?
A、広域的な集団安全保障体制の構築を目指したからです。

Q、最近、中国の軍事力が増強し、アメリカが警戒心を強めていると聞きました。この状況の中で日本も軍備を充実させないのは不安が残ると思います。先生はどう思われますか?
A、ミリタリー・バランスを保つだけの自衛力は必要でしょうね。

Q、ダレス国務長官は強硬な姿勢を取っていたと仰っていましたがそれはあくまでアイゼンハワーの支持によってですか?
A、二人は実は緊密な連係プレーを行っていました。

Q、ダライ・ラマは現在どうなっているのですか?
A、亡命中ですが積極的に著述活動などを行っているようです。

Q、ソ連から亡命したトロツキーの思想とはどのようなものだったのでしょう?
A、トロツキーの主な思想としては、世界に社会主義革命を拡大しなければならないという世界革命論が有名です。

Q、07112016 アメリカが46年7月に国民党と共産党に停戦協定を結ばせさせましたが前に争っていたものどうしがそんな急に停戦できるものなのですか?
A、ドラえもんを例にとって説明します。スネ夫(仮に国民党とする)とのび太(仮に共産党とする)の喧嘩にジャイアン(仮にアメリカとする)が介入してきたらどうなるでしょう?ジャイアンを恐れて二人は喧嘩をひとまずやめるでしょうね。

C、自分はフォード大統領に歴史の1ページにも満たないのだと同情してしまいました。私なんかページにものりませんが。
A、家族の歴史という本の中にはあなただけのページがたくさんあるはずです。世界の歴史の中にはページがなくてもね。

Q、ソ連は共産党にどのような支援をしたのですか?
A、例えば核技術援助です。他に農業技術や工業技術援助、資本援助も行いました。

Q、先生は大学時代何のサークルに入っていましたか?
A、文芸部です。文章を読むのも書くのも好きなので当然の選択です。

Q、国務長官は日本の官房長官と同じ役職ですか?
A、譬えて言えば外務大臣と官房長官をあわせたようなものです。

Q、冷戦当時インドは東西どちらの陣営に属していたのですか?
A,講義で説明したのは、中国が核技術援助をソ連から受けていたということです。同盟国でしたから。またインドは第三諸国に属します。第三諸国とは、アメリカを中心とする第一諸国、ソ連を中心とする第二諸国とは別に第三勢力として自立しようという立場です。

Q、アイゼンハワーとダレスの仲は良かったのですか?
A、非常に良好でした。ダレスが病に倒れた時に送った見舞いの品のレシートが資料の中にありました。

Q、先生はブロック経済以外にどのような解決策があると思いますか?
A、食糧は生命の根本ですからあまりに自給率が低いのは危険です。例えば東京という都市を包囲して陥落させようとすれば非常に簡単なのです。周囲の道路を封鎖して三日か四日待つだけで食糧が枯渇して自滅します。それは日本全体も同じことです。最低限、国家が生き残るのに必要なものは自前で供給できるようにし、その他は貿易を行うというのでよいのではと私は考えています。

Q、台湾は中国の一部なのですか?それとも未だに中華民国という一つの国なのですか?
A、これは解釈が分かれます。単なる一つの地域と見なす場合もあれば、一つの独立国家とみなす場合もあります(外交関係を結んでいる国もあります)。現在、台湾は国連に独立した国家としての席はありません。

Q、アメリカの歴代大統領の中に元俳優の大統領がいたと思うのですが、ニクソンでしたっけ?それともレーガンでしたっけ?
A、レーガンです。

Q、王国と帝国の学術的違いは何ですか?近代に至る前にもソフトパワーは政治の場面で行われていたのでしょうか?具体的な王朝名、状況を教えて下さい。
A、帝国はオスマン・トルコの例をあげると分かるように多くの民族から構成されます。王国は単一民族もしくはいくつかの民族から構成されます。ソフトパワーは例えば儒教があげられます。王朝としては代表的なのは漢でしょう。

アメリカ政治外交史歴代アメリカ合衆国大統領研究