ジェームズ・マクヘンリー陸軍長官 |
ジェームズ・マクヘンリー(1753.11.16-1816.5.3)は、アイルランドのアントリム州バリメナの商家に生まれた。1771年にアメリカに移住し、デラウェア植民地にあるニューアーク・アカデミーに入学した。卒業後、マクヘンリーはフィラデルフィアで医術を修めた。
独立戦争が勃発するとマクヘンリーは外科助手としてアメリカ軍に志願し、軍病院で働いた。1776年8月、大陸会議によって軍医に任命されたが、11月、イギリス軍がワシントン砦を落とした時に捕虜になった。幸いにも数ヵ月間後に捕虜交換で解放された。その後、ワシントンの幕僚に加わり、ワシントンやハミルトン達と親しく交わった。またラファイエット侯爵の副官も務め、軍需物資調達に貢献した。
退役後、マクヘンリーはメリーランド邦上院議員に選ばれた。またボルティモア郡の治安判事も務めた。さらに1783年、連合会議のメリーランド邦代表に選ばれた。その後、合衆国憲法制定会議に参加した。そして、メリーランド邦の商工業にとって合衆国憲法が有益であることを強調し、憲法批准を推進した。
ティモシー・ピカリング陸軍長官の異動にともなってワシントンは後任を探したが3人に断られ、ようやくマクヘンリーに白羽の矢を立てた。マクヘンリーは政権交代後も留任した。 |
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