ジョゼフ・ハーバーシャム郵政長官 |
ティモシー・ピカリング郵政長官の異動に伴い、ジョゼフ・ハーバーシャム(1751.7.28-1815.11.17)がピカリングの後任となった。ハーバーシャムはジョージア植民地サヴァナ生まれで父はジョージア植民地きっての実業家の一人であった。10才にもならないうちに、教育を受けるためにニュー・ジャージー植民地に送られた。1763年から1767年までカレッジ・オヴ・ニュー・ジャージー(現プリンストン大学)で学ぶ。1768年、さらにイギリスに渡り商業を学んだ。1771年、父の支援の下、会社を設立する。
1774年7月27日、イギリス議会による強圧的諸法を非難する会議がジョージア植民地でも結成された際に、ハーバーシャムは会議の一員に加わった。急進派の一人として認められ、サヴァナの弾薬庫を襲撃した「自由の仲間達」の中で主導的な役割を果たした。1775年にはジョージア植民地を守るために結成された歩兵大隊の少佐に任命され、後に大陸軍において大佐に昇進した。独立戦争後、ジョージア邦州議会の議長を2度務めた。さらに1785年から1786年にかけて連合会議のジョージア邦代表も務めた。その後、1792年から1793年にかけてサヴァナの市長となった。
ハーバーシャムはオズグッドの計画を受け継いで、郵便網を1,875マイルから2万817マイルに延伸し、郵便局を75ヶ所から903ヶ所に増やした。また公用郵便馬車の試験的運用も行った。ハーバーシャムはジョン・アダムズ政権で引き続き郵政長官を務めた。 |
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