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アメリカ歴代大統領研究ポータル

チェスター・アーサー大統領
第20代アメリカ大統領
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ジェームズ・ガーフィールド

ジェームズ・ガーフィールド
説得力 42.8 25位
危機対応力 42.2 28位
経済管理力 43.2 30位
カリスマ 50.7 25位
外交力 43.5 32位
行政手腕 49.2 28位
議会連携力 48.5 22位
決断力 40.4 29位
公正性 42.2 22位
ヴィジョン 41.9 31位
C-SPANのランキングに拠って作成
ジェームズ・ガーフィールド大統領の能力値

ジェームズ・ガーフィールド大統領の概要

James Garfield

Boatman Jim

 共和党
 Republican

 在任期間
 1881年3月4日〜1881年9月19日
 生没年日
 1831年11月19日〜1881年9月19日
 身長・体重
 182.9cm/84.0kg

早熟な子

 ジェームズ・ガーフィールドはオハイオ州オレンジで生まれた。父アブラム(1799.12.28-1833.5.8)と母エリザ(1801.9.21-1888.1.21)の5人の子供の末子であった。9ヶ月で歩き始め、3才で本を読み始めたという。借金を支払うために土地のほとんどを売却した一家は貧しく、ガーフィールドは夏は農場で働き、冬に学校に通った。働きながら学費を工面してガーフィールドはウィリアムズ・カレッジに進学した。卒業後は教師を務めた。

オハイオ政界

 ガーフィールドは優れた弁舌によって知られるようになり、オハイオ州上院議員に選ばれた。さらに法学を修めて弁護士になった。南北戦争が勃発すると、オハイオ義勇軍に加わり、ミドル・クリークの戦いで自軍を勝利に導いた。その他にも各地で転戦した。戦争終結前に退役し、連邦下院議員に就任した。1880年、混戦の中で共和党の大統領候補指名を獲得し僅差で民主党候補を破った。

就任後僅か四ヶ月で銃弾に倒れる

 1881年7月2日、ガーフィールドはワシントンにある駅の前で撃たれた。犯人は、大統領選挙で貢献したのにも拘らず、自分に与えられた公職が期待したよりも低いことを恨んで犯行に及んだとされている。約二ヶ月にわたって懸命の治療が続けられたが、銃弾を摘出することができず、療養先で亡くなった。

ガーフィールド大統領の参考情報